津の平安仏(重文)

dainichi大日如来

未年・申年生まれの人の守り本尊

重要文化財

像高89.4cm。一木造。

平安時代前期(900年頃)の作

大日如来とは光明遍照を意味し,真言密教では太陽をも越えるもの、毘盧遮那仏とも呼ばれ、大宇宙の摂理を現す。

智恵の光明はあらゆる煩悩の闇を除き,慈悲の光明は全てのものに救いの手を差し伸べ、智恵と慈悲は絶え間ないとされる大宇宙の根源的仏。

金剛界・胎蔵界の曼荼羅の中心に一番大きく描かれている仏様。諸仏・諸菩薩は大日如来の働きの一部を具現したとされる。この像は智拳印を結ぶ金剛界(智恵の世界)の仏様で、その均整のとれたお姿の美しさは平安前期の日本三大「大日如来坐像」の一つである。


amida阿弥陀如来

戌年・亥年生まれの人の守り本尊

重要文化財

像高84.6cm。寄木造。

平安時代後期(1100年頃)の作

平安時代の末期、世に末法思想が信じられ人々は極楽浄土への往生を願った。

その思いを適えてあげようと手は来迎印(上品下生印)を結び、撫で肩でやや伏し目、柔和な表情で体全体から慈悲の光を放っているように感じられる。

いずれの仏像も昭和20年6月26日太平洋戦争による爆撃で被害を受けた。

戦後の昭和26年,京都の三十三間堂国宝修理所で県下第一号として修理されたが、光背は失われたままとなっている。


被災前のお姿

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魚籃観音

商売繁盛・良縁成就・大漁祈願
御真言:おん あろりきゃ そわか

元禄時代の作。
柔和な手つきで大きな魚の入った篭をぶら下げ、優しい
微笑みを浮かべた顔立ちの観音様です。
魚籃観音は三十三観音の一つで、法華経普門品に「善男子もし諸々の苦悩を受けた時、この観音を一心に称名せば観音即座にこれを聞き、男子は解脱することを得せしめん」とある。また、中国の観音感応伝によれば「唐代に魚商の娘が婿選びにあたり、この観音を一心に称名し良縁を得た」という。

この石像は元禄時代に九鬼浦の網元が豊漁・縁結びの観音として祭ったところ大漁に恵まれたという。うわさを聞いた桑名藩の家老に引き取られた後、桑名の網元宅、同網元の津新町別宅、羽所町の料理旅館と数奇な運命をたどり、昭和57年区画整理に伴い当寺に祀られることとなった。